さて、今回の答申は「概ね 2040年頃の社会を見据えて,目指すべき高等教育の在り方やそれを実現するための制度改正の方向性などの高等教育の将来構想」(大臣諮問)という超長期に渡る政策的射程を持ち、中教審答申として初めて「グランドデザイン」をその名称に冠した存在です。本来であれば、文字通り2040年ごろまでの高等教育の全ての起点、出発点と受け取るべきものでしょう。
しかし、筆者はいくつかの理由から今回の答申をそのような存在として扱うことに疑問を覚えます。根拠、具体的な分析については、3月3日に神戸大学で開催される大学評価学会第16回全国大会において「『グランドデザイン答申』策定過程と構造的特徴」というタイトルで発表を予定しているので割愛しますが、大まかには、
①今回答申の策定過程においても、官邸に設置される各種有識者会議とそれに基づく閣議決定等がしばしば影響や制約を及ぼし、文科省、中教審の検討、決定に優越するものであることが示された、
②しかもこれらの官邸の有識者会議は、高等教育政策を扱うものにおいても高等教育論の研究者はおろか大学関係者も少数しか加わっておらず、高等教育政策に専門的な知見を持っているとは思えない人々がごく短期間、非公開の検討で次々と決定を行っている、
③一方、高等教育論の専門家たちは、今回の審議では大学分科会の下部の将来構想部会、そのまた下部のワーキングに集められ、部会からバラバラに降りてくる各論の個別検討以外には基本的に関与できず、答申には高等教育に関する専門的知見は十分に反映されていない、などが挙げられます。
これらの結果、答申は2040年ごろまでの高等教育の全ての起点、出発点というよりは官邸の政策の従属変数としての側面を色濃く持ち、非常に不安定な性格を内包していると考えます(例えば答申では「必要な人材像」としてジェネリックスキルに加え「数理・データサイエンス」を挙げていますが、検討が2年早ければおそらく「数理・データサイエンス」ではなく「地方創生」が、さらに2年早ければ「グローバル化」が挙げられていたのではないでしょうか)。今後の官邸の「有識者会議」の決定次第で高等教育政策の方向性は簡単に変わってしまう可能性があります。変わらないものがあるとすれば、底流を流れる「産業経済政策の下部政策としての高等教育政策」という位置づけくらいでしょうか。
では、そのような答申を大学のとるべき戦略という面から考えるとどうなるのか、という点については、現在、長い文章を書くことが困難なこともあり次回以降で続けてみようと思います。
(菊池 芳明)
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