2021年4月29日木曜日

一般職の賃金改善に関する要求書

 この問題についても、それこそ「一般職」が「嘱託職員・契約職員」であった頃から延々と処遇改善要求を続けています。任期制の廃止、有期雇用職員から一般職への転換等での改善は獲得したものの、賃金については、残念ながら何度要求と交渉を繰り返しても当局側は全く譲歩しないという状態が続いています。特にここ1、2年は交渉を行うこと自体にもなかなか応じなくなっていたのですが(「交渉を行っても組合の要求には応えられないので」という、正直と言えば正直な理由の説明がありましたが)、それで諦めてしまえば一般職の賃金はそのままとなってしまいます。年度が改まるのを待って、何度目かの交渉の要求を行いました。内容は以下の通りです。

 また、毎度の呼びかけですが、当事者である一般職の方々が黙っていると経営側は現状に不満はないのだと解釈します。逆に組合に多くの人が加入すればするほど、当局側はその主張、要求に配慮しないことが難しくなります。この機会に組合への加入をご検討ください。

横浜市立大学職員労働組合 加入案内

2021年4月15日
公立大学法人 横浜市立大学
理事長 小山内 いづ美 様
横浜市立大学職員労働組合(横浜市従大学支部)
委員長 三井 秀昭

一般職の賃金改善に関する要求書


 市民から期待され信頼される大学教育と運営の確立に向け、日頃の取り組みへのご尽力に敬意を表します。

 さて、標記の件について、2018年9月26日に協議要求した「一般職の処遇に関する要求書」のとおり横浜市嘱託職員(当時)に比べ4万円以上の較差があり、2019年9月17日に再度協議要求しましたが、現在に至るまで全く改善がなされていません。

 その後、2020年度より横浜市非常勤職員の給与が改定され、市と法人での較差はさらに広がりました。総合職と同様に一般職においても市と較差がある状況は法人化時の合意に反するものです。

 コロナ禍においても法人の業務運営に支障を来すことなく懸命に働く職員の労に報いるためにも、この問題に関する協議を強く求めます。なお、1回目の協議は4月19日~5月14日の間に開催されることを併せて要求します。

以上

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日本的共同体と戦略的思考

 以前、ここで何回か「戦略」について書いたことがありましたが;

「戦略論から見た大学改革への対応 -順次戦略と累積戦略-」

「政府主導型大学再編の始まりと“戦略の醍醐味”(3)」

あちこちで言われているように今回の新型コロナ禍での日本政府の対応がしばしば太平洋戦争時のそれを想起させること、それと、近代以前における日本独自の戦略、作戦、戦術等に関する展開、具体的には武士の軍事史におけるそれに関する個人的疑問の一つに対して答えを提示してくれた本が最近文庫化(西股総生『東国武将たちの戦国史』河出文庫 2021)されたのを本屋で見かけたこともあって、また少し日本人と戦略の関係について綴ってみたいと思います。

 大学関係者、それも事務局関係者と話していて、話が噛み合わないこと、その背景にパーセプション・ギャップの存在を感じることがあるのですが、(教員の場合、「考えること」を仕事にしている人たちなので、説明すればそれなりに通じる傾向があるのに対して)事務職員の一部に、自分がどのような思考枠組みに依拠しているかについて認識していない、のはまあ普通のこととして、自分の思考枠組みを相対化することに拒否反応を示す(そして、自分がそのような「防衛反応」を示していることにも気づいていない)、他の思考枠組みについて理解しようとしない強固な傾向性を感じて、内心「これは無理。説明不能」となることがあります。

 その具体的なパターンの1つが、戦略的思考が欠けている、あるいは計画を作って実行することを戦略だと思っている、軍事の領域でいう作戦レベルや戦術レベルを戦略レベルと考える、などの場合です。

  • ちなみに経営学における戦略論は、第2次大戦後に軍事の領域から階層性を持つ諸概念のうち戦略(strategy)という言葉だけを輸入し、内容については独自に発展したもので、作戦(operation)、戦術(tactics)などの言葉については取り入れられませんでした。代わりにというのでもないでしょうが、企業戦略と事業戦略という上位、下位関係にある、現実には組織レベルと結び付きやすい区分があり、さらに企業の機能面に着目した機能戦略という下位区分もあります。軍事のそれが目的、目標の達成のための「行動」を軸として「(大戦略)-戦略-作戦-戦術-(戦技)」として階層化され、そのための組織や戦力整備は「軍政」という、戦略、作戦等の立案に当たる組織(軍令部門)とは別の組織の担当する、別のカテゴリーの問題となっていることに比べると概念として曖昧さが付きまとうように思えること、私自身はもともと軍事戦略に先に親しんだことから、ここでは軍事戦略の枠組みに依拠して話を進めます。

 この点について、3年前から取り組んでいる共同研究の自分の担当部分;

「大学職員の内発性に基づく役割モデルの再構築に向けた日・韓・台比較研究」
「大学職員の内発性に基づく役割モデルの再構築に向けた国際比較研究」
-日本の大学の事務職員の本質を、民間企業、官公庁のホワイトカラーと同様の「日本型サラリーマン」であるという点に求め、その特徴と課題を抽出する-

と相当程度まで密接に関連しているのではないかと思うようになってきました。

 日本の企業、官公庁、それに大学の事務局などは単なる目的達成のための機能的組織ではなく同時に強固な共同体(集団と呼ぶほどニュートラルなものではない)でもあるという特徴を持っています。そして、その「共同体」は、近年、新型コロナや政権スキャンダル絡み、さらにはジェンダー平等問題などで再び人口に膾炙することが増えた「同調圧力」、それも「同質性」を志向する同調圧力が内面化された共同体です。このような共同体においては、共同体の基本的な価値観や行動様式、方向性などはそのまま受け入れ、内面化して、その上で共同体内で割り当てられた個別の役割や仕事に全力をあげることがよしとされがちです。それは言い換えると、戦略レベルの思考は放棄(「基本的な価値観や行動様式、方向性などはそのまま受け入れ、内面化」する)、作戦、戦術レベルに全力をあげるということであり、共同体において自身の利益の最大化を図るのであれば、それが最も合理的な行動ということになります。その当然の帰結ともいえるのが、ちょうど20年前に大手電機メーカーのトップが業績不振の責任を問われた際に口にした「(業績不振は)社員が働かないからだ」という言葉です。さすがに当時批判を浴びはしましたが、戦略レベルの思考は放棄し、作戦、戦術レベルにのみに(共同体内での処世とともに)全力を挙げるというやり方に最も「最適化」した「報酬」として社内の階梯を駆け上ってきたのであれば、「社員が働く」という、戦術か下手をするとさらに下位の戦技レベルに思考が固着してしまうのは必然的な成り行きであり、何もそのトップだけに限られた話ではないでしょう(正確には濱口桂一郎氏の指摘するところの「報酬としての地位」という問題との、いわば2重苦の結果というべきでしょうか)。

 2つ目は、「共同体内で割り当てられた個別の役割や仕事に全力をあげること」の集積が全体の成功につながるのであり、だからこそ個々人は余計なことを考えずに目の前のことに全力を挙げるべきなのだ、という漠とした信念のようなものです。「(大戦略)-戦略-作戦-戦術-(戦技)」という階層において、上位のレベルでの錯誤や失敗を下位のレベルにおける努力や成功で補うことは(特に「総力戦」以降の時代においては)困難であるというのは、軍事の戦略にある程度親しんだ人間にはよく知られたテーゼですが、上記のようなミクロの直接的な集積としてのマクロという信念?世界観?とそれは見事に衝突します。

 ここで少し過去の歴史へと寄り道します。春秋戦国時代が「孫氏」を生み、ナポレオン戦争が「戦略論」を生んだように、戦略的思考は、主に軍事と外交の領域で発達します。日本の近代軍事理論の受容は第2次大戦での大敗北という結果に終わりましたが、それ以前の歴史を振り返ると、外交についてはともかく、武士という戦士階級が数百年に渡って戦争と戦闘に明け暮れていたわけで、戦乱の時代の長さは決して中国、ヨーロッパに劣るものではありません。そして、実際、我々が良く知る武田信玄、織田信長、豊臣秀吉などの戦国時代後期の有名武将たちは戦略レベルの思考、行動(そして当然、より下位の作戦レベル、戦術レベルも)を行っていたとしか思えない行動をとっています。ただし、武士というその基盤を封建制に置いている戦士階級は、封建制の原理そのものが原因となって本来は戦略、作戦といった高度で複雑な軍事行動をとることは難しい存在です。そこから「勝つために有効である」というリアリズムに立脚した高度な思考、行動への飛躍がどこかであったはずなのですが、この点について(少なくとも東国においては、という留保付きですが)一つの回答を示したのが、冒頭にあげた西股総生先生の「東国武将たちの戦国史」です。西股先生は、単なる戦闘の集積としての戦争から脱して武士の戦争に「作戦の時代」をもたらしたのは、ちょうど京都で応仁の乱が行われていたころに関東で起こった「長尾景春の乱」の当事者である長尾景春と、その軍事的ライバルであり、最終的に乱を鎮圧した太田道灌の2人である、としています。

 西股先生の著述は、(おそらくは意識的に)非常に読みやすい平易な文章で綴られているという特徴があるのですが、ここで「東国武将たちの戦国史」から戦略-作戦-戦術という階層の関係、不可逆性について述べられている部分を紹介してみます。舞台は永禄12年(1569年)の関東、横浜市大本部キャンパスのある横浜市金沢区からは北西に30、40キロほど離れた現在の神奈川県愛川町三増峠付近で、今川義元が桶狭間で織田信長に討たれた後、今川、北条、武田の三国同盟を破棄、今川家の駿河を武田領に組み込もうとして北条軍の妨害にあった武田信玄が局面の打開を図り北条領に侵攻、甲斐に帰還途中の三増峠付近で追撃してきた北条軍の一部を撃破した戦いです。

 「北条軍を撃破することによって駿河から手を引かせることが、武田軍の作戦意図である。目的は駿河領有、目標は北条軍であり、そのための到達予定地点が小田原であった。」(文庫版248頁)
 「三増合戦は、戦術次元では武田軍の巧みな用兵による勝利ではあったけれど、作戦次元で見れば不本意な会戦であったがゆえに決勝会戦たりえず、戦略次元で評価するならほとんど徒労と言えた。」(文庫版265頁)

 このように、武士の戦乱の時代の末期においては、(それに応じた明確な概念と用語が存在していたかはさておき)自然発生的に生まれた戦略-作戦-戦術という階層的な思考、行動が存在していました。ただしそれは江戸時代の長い平和と封建制身分社会の解体により現在の日本人に受け継がれることはなく、現在の日本人、正確には「国内大学卒」で「学位は学士」、「日本の企業、官公庁等の組織にメンバーシップ型雇用契約で雇用されている」「成人男性」は、組織に重なつて存在している共同体(あるいは組織以上に強力な共同体)の独特な価値観、行動様式の強い影響下にあって、それは「戦略的思考」とは基本的に嚙み合わないものです。

 しかし、「真理はわれらを自由にする」のであり、学問という鏡に照らすこと(ここでは、先人であるかつての戦国武将たちは生き残るために封建制のもたらす軍事上の枷を脱し戦略的思考、行動を行っていたのだ、という歴史研究のもたらす知識、認識)で、無意識レベルにまで定着した固定観念でも解体することは可能です。最近の企業サイドの論理(「メンバーシップ型」「ジョブ型」の提唱者である濱口桂一郎氏いうところの「ジョブ型の皮を被った成果主義のリベンジ」)はともかく、メンバーシップ型雇用システムは、そのもとにある人間の多くにとって、①工業化によるキャッチアップには適合していたが、本当に到来した「情報化の時代」には負の側面の影響が強くなる、②組織が成長する段階では機能するが、組織が縮小する段階では逆機能を起こす、という問題点が次第にはっきりしてきています。少なくとも「戦略的思考のできない」メンバーシップ型の人間でいることは当事者にとっても大学にとってももはや安全な道ではないでしょう。まさか、政府文科省の言うとおりにしていれば将来は安泰、と考えている大学人はさすがにそれほど多くはなくなっているはずです。まあ、問題があるとすれば「真理はわれらを自由に」してはくれますが、「現世的利益」(出世だの高給だの)を約束してくれるわけではないという点でしょうか。

 さて、このテーマでは「計画」の問題など、まだほかにも思うことは多々あるのですが、いい加減長くなったのでこのあたりにします。続きはたぶん書きません。

(菊池 芳明)
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2021年3月31日水曜日

テレワーク制度化に関する提案に対する回答

新型コロナ禍下、根拠は曖昧、運用は不透明という状態で継続されてきた在宅勤務ですが、3月8日にようやく新年度からの制度化のための就業規則の改定等の案が提示されました。

制度としての基本的な性格は、キャンパスへの出勤を原則とし、育児や介護といった事情等のある職員が願い出たものに対して大学側が承認するという、例外としての在宅勤務というものです。その意味では、今回の新型コロナを機にした、一部の民間企業に見られる積極的な在宅勤務の推進のようなものではなく、また、昨春の緊急事態宣言下で広く行われた、強制あるいは事実上の強制による在宅勤務に対応するものでもありません。

すでに新年度までに3週間しかない時点での提案であり、まともな交渉、修正ができるスケジュールではなかったのですが、あくまでも「例外」としての制度に関するものである点も踏まえ、4月以降、組合回答に基づく交渉を行うことを確認の上、3月17日、以下のように回答を行いました。

なお、「在宅勤務」と「テレワーク」では後者の方がより広い概念で、基本的に在宅勤務を対象とする今回の新制度は「テレワーク」よりも「在宅勤務」という呼称の方が適切ではないかと思われますが、当局側の制度名は「テレワーク」となっているため、当局側の制度、文書に関する部分では「テレワーク」の語を用いています。
※「テレワーク」における勤務地は、自宅以外にホテルや駅構内のワーキングスペース等も含まれることが一般的です。

2021年3月17日
公立大学法人 横浜市立大学
理事長 二見 良之 様
横浜市立大学職員労働組合(横浜市従大学支部)
委員長 三井 秀昭

テレワーク制度化に関する提案に対する回答


市民から期待され信頼される大学教育と運営の確立に向け、日頃の取り組みへのご尽力に敬意を表します。

さて、3月8日に提案されたテレワークの制度化に伴う就業規則改正等について、以下の通り回答いたします。

  1. 新制度は「例外的に事情等のある職員が願い出たものに対して大学側が承認する」という、出勤を基本とする中での例外的な勤務としてのテレワークという位置づけのものであり、昨年の緊急事態宣言時におけるような、命令や事実上の強制に基づくテレワークには対応していない。新型コロナの脅威が依然として続いている状況下では、これら新制度に包摂されないテレワークについても、その対応や根拠について明らかにしておく必要がある。

  2. 超過勤務は原則として認めない、ただし、事前に申し出て所属長が命令した場合にはあり得るという制度設計であるが、この1年の国内における企業等の経験からは、テレワークでは実際にはサービス残業が発生しやすいことが明らかになっている。超過勤務を認めないというのであれば、サービス残業が発生しないよう、例えば勤務時間外に上司とのメールのやり取りが行われていないか、大学のシステムへのアクセスが行われていないかなどを過半数代表者が確認するなどの防止措置をとることが必要である。

  3. 「例外的に事情等のある職員が願い出たものに対して大学側がテレワークを『許可』する」のだから費用は原則として本人が負担するとしているが、勤務場所が職場であろうと自宅であろうと大学の業務を遂行しているのであり、そのために必要な費用を大学ではなく本人が負担するというのは、業務遂行に当たって必要な費用は雇用者側が負担するという原理原則に反するものであり、組合としては認められない。また、労働契約法第9条の不利益変更に当たる可能性もある。

  4. テレワークを認めるのは1週間2日まで、ただし「理事長が認める場合」は2日を超えて認めることがあるとされているが、「理事長が認める場合」について明確にされたい。組合としては、例えば、現在の状況下では新型コロナに対して「本人がハイリスク者」「同居家族にハイリスク者がいる」などの場合、希望があれば2日を超えて在宅勤務が認められるべきと考える。

  5. 本学に多数存在する派遣会社社員については、本学就業規則の対象とはならないが、派遣会社との契約を職員と同様にテレワークが可能となるようにすべきと考える。
以上

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4月からの36協定について

 4月以降の新たな八景キャンパスに関する36協定が締結されました。内容としては、昨年12月30日付組合ニュース【公開版】で紹介した本年1月から3月までの36協定と同一で変更点はありません。

 ただし、今回から明確に在宅勤務時の残業も協定の対象であることが運用面で確認された点は異なっています。在宅勤務時にサービス残業が発生しやすいことは、この1年の国内での経験から指摘されるところであり、上記「テレワーク制度化に関する提案に対する回答」の2.でも指摘、交渉事項としているところですが、実際にサービス残業を余儀なくされるような場合、組合に相談ください。

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2021年2月2日火曜日

緊急事態宣言に伴う在宅勤務に関する申し入れに対する回答

前号でお伝えした「緊急事態宣言に伴う在宅勤務に関する申し入れ」に対して口頭での回答がありました。回答内容は以下の通りです。


1.職員の在宅勤務が業務命令によるものである点を明確にすること

 本来、勤務場所の如何にかかわらず業務命令によらない勤務などはあり得ないはずであり、また、現に在宅勤務に給与が支払われている以上、問題になるはずのない点であるが、在宅勤務における労働者側の支出に関連し、交渉時に当局側からその点について否定する発言があったことを踏まえ、事後に問題が生じないよう、適切な対応が行われることを要望する。
 → (回答)
「就業規則では勤務場所は大学と定められている。したがって在宅勤務は本人の希望を認めているもので命令ではない」
※当局側は「業務命令」を従業員本人の希望と無関係に一方的に出すもののみを指すと考えているようです。これはもちろん解釈としてはおかしいもので、従業員の意見や希望を聞いたうえで「在宅勤務を命令している」のです。在宅での労働が業務命令によらないものだというのであれば、申し入れに書いたようにそもそも当局側には対価としての給与を払う理由がないわけですし、当局側が在宅勤務に際して「就業規則を守るよう」要求している根拠も消滅してしまいます。「業務命令」という言葉の解釈がおかしい旨、説明して再度回答を検討するよう求めました。


2.在宅勤務において超過勤務が発生した場合、法令に従い手当てを支給すること

 この点についても、前回の緊急事態宣言中の在宅勤務に関連して、当局側から「在宅勤務における超過勤務を認めていない以上、超過勤務は存在しない」という実態とは無関係の「あるべき論」からの主張が展開された。今回は、1月から新しい勤怠管理システムが導入されたところであり、在宅勤務についても新システムが適用されるとされていることから、実際の労働時間が把握されることになる。超過勤務が発生した場合は、法令に違反することなく超過勤務時間に応じた手当てを支給されたい。また、管理職が実際とは異なる労働時間を記録するよう指示したり、誘導したりすることのないよう、徹底されたい。
 → (回答)
「通常の大学での勤務と同様に、所属長への事前申告に基づき行われた超過勤務に対して手当が支給される」
※これまでの、「在宅勤務では超過勤務は認めていないのだから超過勤務は存在しない」という冷戦時代の共産圏のイデオロギーのような回答から現実に対応した姿勢へと変わりました。それ自体は評価できるものです(このレベルの対応を引き出すために1年近くにわたって延々と要求、交渉を繰り返さなければならないという点は別として)。ただし、在宅勤務では労働管理が困難になる面がある、緊急事態への対応という性格上、業務に予測しがたい面があるなどの点を踏まえ、現場での運用が硬直的になることで却ってサービス残業などを誘発することにならないよう申し入れました(もちろん、労基法、36協定などの遵守は大前提となります)。


3.個別職員の事情への配慮

 若年層に極端に偏った採用を行ったこともあり、育児、介護等、家庭における個別の事情を抱える職員が多数存在している。在宅勤務においては出勤時よりもこれらの問題に関連する困難が発生する可能性もあり、個別職員の事情を無視した在宅勤務の運用とならないよう、十分な配慮をされたい。
 → (回答)
「前回緊急事態宣言時と違って保育所は休止していない。従業員の個別事情については授業員本人がそれぞれの事情を踏まえて(在宅勤務の申請、勤務を)行っていると思う」
※全般的状況としては、当局側指摘の通り保育所をはじめとして前回に比べましな状況にあるとは言えそうです。ただし、全般的状況と異なる「個別状況」はいくらでも存在しうるものであり、問題があれば今後も組合として要求を行う旨を伝えました。もともと組合員が少なく、すべての部署での問題を把握できているわけではないこと、在宅勤務化等により組合の活動も影響を受けており、特に情報収集での影響が大きいことなどから、組合が把握できていない問題が存在する可能性は十分あると思われます。問題を抱えている方は組合にご相談ください。また、自身の問題でなくても問題を把握している方には情報の提供をお願いします。

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