2016年12月23日金曜日

職員労働組合・横浜市従大学支部 2015-16年度 活動方針

11月25日、本年度の職員労働組合・横浜市従大学支部の大会を開催し、以下の活動方針を決定しましたのでお知らせします。


1.働きやすい職場環境の確保への取り組み

社会環境の激変とそれに伴う大学への要求の多様化、公的助成の削減など日本の大学を巡る環境は年々厳しさを増しています。特に横浜市立大学においては、前市長の下における法人化決定以降、全員任期制の導入、国立大学の比ではない大幅な経費の削減、市OB・市派遣幹部職員への経営権の集中による非効率な業務の増加と現場負担の増大など、国立大学法人、多くの公立大学法人に比べ非常に不安定な経営環境下に置かれることになりました。労働契約法の改正と法人化以降の取り組みの結果、固有常勤職員の任期制は廃止されたものの、それのみで固有常勤職員をめぐる諸問題が解決されたわけではなく、人材育成、人事評価、労働時間等の職場環境に関する多くの問題が残されています。また、法人財政の膨張を支えていた附属病院財政が急速に悪化しつつある中、法人が次期中期も睨んだ職員給与等の固有職員人件費抑制の方向性を取りつつあるのではないかという疑いが強くなってきています。大学に働く職員の職域を代表する労働組合としてこれらの問題に取り組み、法人化時の「固有職員の処遇は市職員に準じる」という労使合意を遵守させるとともに、職員の労働環境の改善、安心して働ける職場の確保に全力を挙げます。


2.組織拡大への取り組み

法人化以降、市派遣職員の引き上げ・退職に伴う組合員の減少が続いていましたが、常勤・非常勤の固有職員の加入により減少に歯止めがかかりそうな様子も見えてきました。とは言うものの、大学にとどまっている市派遣職員は漸次退職を迎え、固有職員の組合員については、事務系職員に関しては、上記1.の様な諸問題が依然として存在しており、嘱託職員・契約職員には雇止めの問題があるなど組合の維持・拡大は依然として容易ではない状況です。組合ニュース【公開版】を通じた情報提供、問題提起、更には、昨年度より実施している体系的プログラムとしての職員基礎講座等によりプロパー職員の組合に対する信頼・期待は高まっていますが、これを新規組合員の獲得・組織の拡大へとつなげていく必要があります。特に、近年は新規職員の一括採用が無くなり、これに合わせて実施していた広報・勧誘活動も行われない状態が続いているため、これらの取り組みの立て直しを図ります。また、ずらし勤務の試行導入や業務の多忙化で難しくなっている組合員相互の交流を確保・促進し、組合の基盤を強固なものとします。


3.嘱託職員、契約職員雇止めの廃止への取り組み

この問題については、職員組合の取り組みの結果、任期更新が終了した嘱託職員について、引き続き嘱託職員が必要であると認めた業務に関しては、雇止めになる嘱託職員の再応募を認める等の措置を取るという運用上の変更を勝ち取り、さらに本年3月には、当局側が従前拒否していた、医療系技術系職員と同様に「非常勤職員就業規則第4条第3項」の但し書き条項(職務の性質等特別の事情があり、理事長が必要と認める場合にはこの回数を超えて更新することができる)が適用されることになりました。しかしながら、同条の適用対象となるかどうかの基準は不透明であり、労働契約法改正による無期雇用転換権の実現という制度上の大きな変更を踏まえ、常勤職員と同様、任期制の廃止を目指し取り組みを進めます。


4.大学専門職の雇用問題への取り組み

大学専門職制度は、国内の大学関係者等の大学職員の高度化(アドミニストレータ化)への要請に対する先進的取り組みとして導入されたものでしたが、法人化直後から大学の経営権を事実上掌握した市派遣幹部職員によって、その趣旨を無視した制度運用が行われ、さらに、契約更新を迎える個別の大学専門職に対して、「大学専門職の廃止が決まった」(学内にはそのような情報は一切明らかにされておらず、事実かどうかすら不明)などとして一般事務職への身分の変更か退職かを迫るという不当行為が行われ、このような不透明な行為の結果、本学の運営に関する告発本が出版される事態に至りました。現在のところ組合執行委員でもある大学専門職2名の雇用と身分はとりあえず維持されていますが、一昨年度の契約更新時にも不透明な制度運用があるなど、職員の高度化や専門化とは相反する人事政策上の動きが続いています。固有職員の任期制廃止に続き教員の任期制も廃止された現在、大学専門職は常勤教職員の中で唯一、任期制という不安定な雇用下に置かれ続けており、労働契約法の改正を踏まえ任期制廃止を求めるとともに、専門職としての適正な処遇を求め、今後も取り組みを継続します。


5.コンプライアンスに基づく労使関係確立への取り組み

度重なる交渉や組合ニュース【公開版】等を通じた指摘がある程度の影響を及ぼした模様で、法人化後の数年間の状況に比べれば担当者レベルでの対応に関してはある程度の改善が認められるものの、法人化後、事実上人事権等を掌握する市派遣幹部職員の労働3法、労働契約法を始めとする関係法令、制度等への知識・認識の不足が本学の労使関係の底流を流れており、それが人事制度、制度運用、個別の雇用関係トラブルに大きく影響を与えています。ただし、今年度に入って、政府の労働政策上の修正を反映したものと思われる労働基準監督署からの厳しい指導があり、法人としても組合との関係も含め法令順守の姿勢を示さざるを得ない環境下に置かれています。これも追い風として関係法令及びそこで保障された労働者・労働組合の権利の尊重に基づく労使関係の確立を求め取り組みを続けます。


6.横浜市従本部、教員組合等との連携

本学の労働環境は、法人プロパー教職員にとって非常に厳しい状態が続いています。横浜市従本部、教員組合や病院組合等との連携を深めつつ、山積する問題に取り組んでいきます。


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公立大学をめぐる国家財政システム 終わりの始まり?(3)

なかなか筆が進まないうちに、地方交付税に「歳出効率化に向けた業務改革で他団体のモデルとなるような改革を行っている団体の経費水準を基準財政需要額の算定基礎とする取組み」を導入しようとする「トップランナー方式」は、所轄官庁である総務省の地方財政審議会においてもオーソライズされた模様で、12月14日の毎日新聞で地方財政審議会が「トップランナー方式」の導入を求める意見書を総務相に提出したという報道がなされています(ただし、この稿を書いている12月20日時点では地方財政審議会のWebには資料、議事要旨等はまだ掲載されておらず詳細は不明です)。

ということで、ようやく公立大学における「効率的な」経営をおこなっている事例の紹介です。

大学の場合、国公立という設置者の違いに関わらず基本的な収入・支出の構造は、例えば企業に比べれば単純です。

近年は、①寄附等に基づく基金の設置とその運用による収益の確保、②産学連携による資金の確保などについて、特にアメリカの大学との比較において「経営努力」が足りないと指摘されることが多いのですが、本稿ではそれらについては取り上げません。①に関しては、アメリカの場合、社会に深く根付いた寄附文化に基盤を置く(大学もその一部でしかない)巨大な非営利セクターが存在し、投資収益に関してもリーマン・ショック前までは20%台後半から大学によっては30%台、その後も最近に至るまで10~20%台の収益率が期待できたこと、②については、日本の場合、産業界も国内での産学連携には熱心ではないなどの環境的要因があり、短期的に大学経営に大きな貢献をなし得るとは考えにくいためです。②の産学連携に関しては中期、長期的には大きく変わる可能性はありますが、いずれにしても今日、明日のことではありません。また、①に関しても、アメリカの投資環境が悪化しており、昨年から今年にかけてのハーバード大、ペンシルベニア大の運用収益がマイナスになるなどしていて(「イエール大基金、運用成績3.4%のプラス-ハーバード大はマイナス」Bloomberg 2016.9.24)、 投資収益にしても大学自身の努力、能力だけではなくマクロの環境に左右される部分が大きいことを示しています。資金の減少に悲鳴を上げる身としては少しの額でもないよりはずっと良いのですが、短期的に収益の「柱」となることは考えにくいと思われます。

さて、では日本の大学にとっての「効率的な」経営とは何かという問題ですが、収入の多くを占めるのは学費収入と国公立大学における国、自治体からの交付金です。後者の公立大学における引き下げが問題になっているわけですので、問題は前者の学費収入増という事になります。また、支出に関しては人件費支出が国公私立いずれにおいても最大の比率を占めているので、これをどうするかが問題となります。

学費収入を増やす方法としては、①学費値上げや②学生定員増、人件費を引き下げる方法としては①給与等の引き下げや②教職員数の削減などが考えられます。このうち、学費値上げや給与切り下げ等については、数年後に(たとえばリーマン・ショック後のアメリカの州立大学のように)現実の課題となる可能性は否定できませんが、現時点ではそうなっていないこと、実際問題として国立大学並の学費が公立大学の存在意義の一つとなっており、大幅な学費値上げは自己否定につながりかねないことなどから、これもとりあえず検討対象から除きます。

残るのは、学生定員増と教職員の減のいずれか、あるいはその組み合わせという事になります。

今回はその両者を組み合わせた指標としての教員学生比(ST比)を基準として、公立大学における「効率的な」経営を見てみることにしたいと思います。

国公私立のそれぞれのセクター別のST比は、平成27年度学校基本調査によれば、学部学生数/本務教員数で「国立大学:6.9人 公立大学:9.9人 私立大学18.9人」、学部学生数+大学院生数/本務教員数で「国立大学:9.2人 公立大学:11.1人 私立大学19.7人」となっています(平成27年度学校基本調査から筆者算出)。ここでも全体としては国立大学と私立大学の間で、国立大学に準じるという公立大学に多く見られる特徴が見て取れます。

しかしこれまで何度も述べてきたように、公立大学の場合、多様性に富み、個別の大学による違いがきわめて大きいという特色があります。個別公立大学のST比(以後は、学部学生数+大学院生数/本務教員数を使用します)については、公立大学協会のHPに各年度の学校基本調査に基づく数字が掲載されており、そこで確認することができます(厳密には公立大学協会のデータは本務教員から附属病院のそれを除いているため完全に同じではないのですが、数値としては大きな違いは無いので、ここではそのまま使用します)。

この個別公立大学のST比を見ていくと、釧路公立大学(34.8人)、青森公立大学(38.9人)、高崎経済大学(40.2人)、都留文科大学(36.3人)、下関市立大学(33.2人)という5つの公立大学でST比が30を超えています。これは上記の私立大学の平均(19.7人)を大きく超える数値です。

これらの大学に共通するのは、①設置者が都道府県でも政令指定都市でもなく一般市であること、②分野としては社会科学系であること、③比較的小規模な大学であること、の3点です。財政規模の小さい一般市において、大規模私学と同様の社会科学分野での設置自治体財政に負担をかけない「効率的な」大学経営が求められている可能性が高そうです。ことに高崎経済大学、都留文科大学、下関市立大学の場合、設置がそれぞれ1957年、1953年、1962年と公立大学運営の地方交付税交付金単位費用への算入が始まる前であり、地方交付税による補填が無い状況下、事実上、独立採算に近い経営を求められたことが想像されます。

ちなみに最もST比の大きい高崎経済大学の場合、平成27年度の決算報告書を見ると総収入2,916百万円に対して授業料等の独自収入が2,550百万円で総収入に占める割合は87.4%、一方、設置自治体からの運営費交付金は246百万円で総収入に占める割合は8.4%に過ぎません。前回触れたように地方交付税交付金の実際の給付額の計算は複雑なのですが、それでも公立大学運営費相当額として設置自治体に交付された額の多くが大学には渡っていない可能性が高い、言い換えれば設置自治体、ひいては地方交付税交付金に殆ど依存しない大学経営を実現していると言えそうです。

では仮にこのST比、言い換えれば教員人件費と学費収入の関係で最も「効率的な経営」を行っている事例を基準として交付税交付金の単価が変更された場合、どうなるでしょうか?高崎経済大学の場合、設置自治体からの運営費交付金は246百万円でした。これを同じ27年度の在籍学生数4145人で割ると1人当たりでは約59,000円となり、これは同年度の地方交付税交付金における社会科学系の学生一人当たりの単位費用214,000円の3分の1を下回ります。さすがにこれを他の分野、特に医、理、保健などにそのまま適用することは無茶な話と思われますが、社会科学系に限定して考えてみても、これに近い数値にまで交付税交付金の単位費用が引き下げられた場合、設置自治体が他の費用を削って大学に廻しでもしない限り、同様のST比を目指さざるを得なくなる可能性が高そうです(あるいは上で検討対象から除いた授業料の大幅値上げや教職員給与の大幅引き下げなどが俎上に上るかもしれません)。

しかし、このST比が約40人、教員1人当たり学生数が40人というのは、かつての大規模私学のマスプロ教育と同様の数値です(実際には大規模私学の大規模教室での数百人規模の授業という方法ではなく、施設上の制約から通常の国公立大より少ない専任教員と高い非常勤依存率という別の形を取る可能性が高そうですが)。それらマスプロ教育を行っていた大規模私学が批判を浴び、その後ST比の改善に取り組んできたこと、さらに早稲田大学、関西大学などがST比を25人にまで引き下げることを計画として掲げる(「Waseda Next 125」「Kandai Vision 150」)など有力私学で更なる努力が重ねられていることを考えれば、仮にこのような「最も効率的な」ST比を元に交付府税交付金の単位費用が改訂され、さらに設置自治体がそのままその数字に基づく大学運営を行うよう求めた場合、それは公立大学としての存在基盤自体を掘り崩す、例えば「私学と変わらない教育環境しか提供できないなら、いっそ私学にしてしまえ」といった反応を引き起こすことになるかもしれません。

ただ、さすがにそのような方向は(少なくとも当面は)地方6団体等からも反対が出る可能性が高いのではないかとも思われます。実際、例えば三重県の町村長会が(公立大学に限定したものではありませんが)「トップランナー方式」を導入しないよう国・県に要望することを決議したことが地元紙で報じられています(「『トップランナー方式』導入やめて 県町村会、国への要望など承認」 伊勢新聞 2016.8.10)。 

また、高崎経済大学等の事例は、「一般市が設置する」「社会科学系の」「比較的小規模な大学」という条件下でのさらに一部の極端な事例であり、そのまま一般化し公立大学経営の基準とするにはあまりにも問題があります。仮に単位費用の引き下げを行うにしても、分野や設置自治体の財政規模などの環境・条件の違いを無視した変更は行うべきではないでしょう。

さらに、仮に単位費用の大幅な引き下げを行った場合、近年無視できなくなっている公設民営大学、私立大学の公立大学化の潮流にも大きな影響を及ぼすものと思われます。これらは、その地域から高等教育機関が無くなってしまう、あるいは非常に少なくなってしまうという条件下、地元自治体からやむを得ない選択として選ばれるケースが多いのですが、その決断を支えているのが、①地元自治体にとっては交付税交付金がその分増額になり、財政上の負担は(少なくとも当面)あまり大きなものにならずに済みそうに思われる、②大学にとっては私学経常費補助金より地方交付税交付金の方が額が大きく、自治体がそれをそのまま全額かそれに近い額、大学に渡してくれるなら経営の安定と学費の値下げによる学生募集上の競争力強化につながる、③地域住民にとっても、公立化によるブランド価値の向上と共に学費が値下げになることで仮に子弟を入学させた場合の家計上の負担が減少する、といった現行の地方交付税交付金制度による資金的なメリットの存在です。「トップランナー方式」の導入は、それらの基盤を根こそぎひっくり返す可能性があります。この公設民営大学、私立大学の公立大学化の潮流は、地域と大学、自治体と大学の関係に新たな局面をもたらしている側面があるのですが、「トップランナー方式」の導入はさらに一段進んで、望ましいすべての公共サービスを提供することが不可能になったシビアな財政状況下、地域における高等教育の必要性に対して他の公共サービスとの比較でどの程度の優先度を与えるかという問題について、ある意味、身も蓋もない地域としての判断をむき出しにすることになるかもしれません。

さて、だらだらと続けてきたこのシリーズですが、もう一回、特定の大学にしかできないのですが、分かり易くかつ簡単にできそうなもう一つの「効率的な」経営の在り方について紹介して終わりにしたいと思います。

ただ、その前に今年度1回も開かれていない中教審大学分科会大学教育部会がようやく開催されることになったようで、その議題が「大学の事務職員等の在り方について」とのことですので、過去何回か取り上げた「高度専門職」「専門的職員」の在り方との関係で、そちらを先に書くことになるかもしれません。 

いずれにせよ年内はこの稿が最後になると思います。皆様、良いお年をお迎えください。

(菊池 芳明)

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