2013年7月4日木曜日

任期制廃止についての協議に関する追加要求書について

 本学の全員任期制(横浜市派遣職員、医療技術職員除く)については、2月28日に法人の設置者である横浜市長に対して「横浜市立大学における任期制廃止に関する要請」を、さらにその際の市の担当課とのやり取りも踏まえ、3月5日には法人理事長に対し「任期制廃止についての協議要求書」を提出、法人に対し協議を求めてきました。

 その後、5月に1回目の協議を行ない、当局側からは、①雇用契約法の改正を受け、任期制の廃止も含めて対応を検討している、②ただし、検討スケジュールも含め具体的なことは現段階では決まっていない、という説明がありました。

 組合としては、任期制の廃止も含めた検討が行われるようになったことは、これまでの金科玉条の如く任期制を扱う姿勢と比べれば大きな前進であり評価するものの、当局側の検討をただ待つのではなく、検討そのものを組合側が参画した形で行うよう求める趣旨で追加の要求書を提出することにしました。

 また、検討の前提として法人化以降の職員の採用と退職の状況についての情報開示を要求するとともに、組合としての最終目的はプロフェッショナルとしての職員集団の形成とそれを通じた大学と職員集団の存在意義の確立にあり、そのためには任期制の廃止による職員の身分と雇用の安定だけでなく職員の適切な育成・支援体制の確保が不可欠であることから、併せてSDの現状についても包括的、具体的に明らかにするよう求めました。

 詳細については、以下をご覧下さい。

2013年6月20日
公立大学法人 横浜市立大学
理事長 田中 克子 様
横浜市立大学職員労働組合(横浜市従大学支部)
委員長(支部長) 三井 秀昭

任期制廃止についての協議に関する追加要求書

 市民から期待され信頼される大学教育と運営の確立に向け、日頃の取り組みへのご尽力に敬意を表します。

 さて、3月5日付で提出した「任期制廃止についての協議要求書」に関しては、①当局側として雇用契約法の改正を受け、任期制の廃止も含めて対応を検討していること、②ただし、検討スケジュールも含め具体的なことは現段階では決まっていないこと、という2点についての説明を受けたところです。

 5年を経過した場合の有期雇用から無期雇用への転換権の確立という抜本的な制度改正を受け、廃止も含めた対応を検討している点については、これまでの任期制は絶対に維持するという姿勢に比較すれば前進であり、評価します。

 しかしながら、全員任期制は本学の職員確保上、巨大な負の影響を及ぼし続けてきた問題であり、組合としては、その今後について当局側の結論をただ待ち続けるという姿勢を取る事が望ましいと考えることは出来ないことから、以下の通り、改めて要求します。
  1. 雇用契約法改正への対応に関する検討については、任期制の廃止も含め、当局側が方針、成案を決定した後に組合側に提示するのではなく、検討段階から組合が参画し、労使双方による検討を行うよう求める。
  2. 任期制の対象となっている職員のうち、契約職員・嘱託職員に関しては契約更新回数の上限が定められており今回の法改正との関係での問題が予想されるが、この点についてはどのように考えているのか、説明を求める。
  3. 検討に当たって、任期制採用後の実態を把握するため法人化以降の各年度の固有職員(常勤職員、契約職員、嘱託職員、大学専門職)の採用状況(採用数、年齢・性別構成、大学職員経験者数)とその年度別退職者数を明らかにするよう求める。
  4. 組合が任期制廃止を求める趣旨は、任期制という固有職員の定着と成長を妨げている不安定、不透明な人事システムを取り除き、大学の存在目的である高度な教育研究を通じた社会への貢献に寄与しうるプロフェッショナル集団を形成することを通じ、大学と職員集団の存在意義を確立することにある。その実現のためには、職員の身分、雇用の安定化と同時にプロフェッショナルとしての職員の適切な育成・支援体制の確保が不可欠であり、検討の前提として本学のSDの現状について包括的、具体的に明らかにするよう求める。

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大学教育のグローバル化と文科省 -グローバル人材養成は自己責任で?-

 文科省の高官の話が聞けるというので某所に出かけた時のことです。

 行ってみると、事前予告とは少し違って教育のグローバル化についての話になっていました。

 大学教育のグローバル化やグローバル人材養成については、周知の通り、近年、大学改革の主要なテーマであり、特にここ1,2年は他のテーマが埋没してしまうほど「グローバル化」、「グローバル化」の大合唱になっている観があります。

 ところが、「グローバル化」や「グローバル人材」とは何なのかという点は、実のところあまり明確になっているとは言えません。

 中教審大学分科会等での議論を聞いていても、「グローバル人材とは何か、具体的に明らかになっていないのでは?」といった疑問が何度も(主に教育学者から)出ましたが、曖昧なまま「とにかくやらなければならないのだ」ということで、それ以上の議論にはならないという展開が続いていました。

 折角の機会なので、「グローバル人材といっても一つではなく色々なタイプがあると思うが、具体的にどのような能力をどの程度持った人材がどの程度必要、というようなことは文科省として明らかにしているのか、していないのなら今後やる予定は?」と尋ねてみました。

 件の高官の答は、「グローバル人材の類型については、例えば内閣府のグローバル人材育成推進会議でまとめている。文科省としては、人材類型や必要な数を示したりはしていないし、その予定も無い。各大学がそれぞれの置かれたポジションに応じて、どのようなグローバル人材が必要か自ら判断して、各大学でその人材の養成を行って欲しい」というものでした。

 この答自体は、特に驚くようなものではありません。

 経済的需要等に係る問題であり文科省単独での守備範囲を越えるだけでなく、未だに解決の目途が立たない「大学院生倍増計画」、「ポスドク1万人計画」等による理系を中心とした博士人材養成の大失敗や(主たる責任が文科省にあるのかは疑問ですが)法科大学院問題など、文科省にとっては、人材の計画的養成や需要予測は慎重にならざるを得ない鬼門であろうと思われるからです(因みに、上述のグローバル人材育成推進会議「グローバル人材育成戦略」には多少の記述はありますが、とても充分なものとは言えません)。それに、護送船団の時代はとうに終わっている、というのもあるでしょう。

 ただし、その上で問題ではないかと思われる点もあります。

 第1に、昨年の中教審答申「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて」や先々月から先月にかけて集中的に策定、発表された「第2期教育振興基本計画」、「これからの大学教育等の在り方について」(第三次提言)、「日本再興戦略」等の政府、文科省の政策文書においては、そのような話 -グローバル人材の具体的な能力に基づく類型や需要について文科省は明らかにしない、各大学がそのポジションに応じ自己判断、養成するもの- は、はっきりとは指摘されていないという点です。政策方針に関する情報提供としては、いささかバランスが悪いように思えます。

 第2に、ただでさえ経営上の余裕に乏しく、社会から集中砲火を受けているように感じている日本の大学の多くの経営者が、マスメディアによって媒介、増幅された「とにかくグローバル化」という声に浮き足立ち、「国策」に則り「バスに乗り遅れるな」とばかりに「グローバル化 ≒ 英語と留学」と考えて(考えるのを止めて?)走り出そうとしているように見える点です。

 以上の2つを併せると、現実に起こるのは、文科省が期待するような「各大学が、そのポジションに応じて」、適切に「必用なグローバル人材の具体的な能力を判断し養成する」ことではなく、とにかく英語化された科目数と留学生数を(質の問題を放り出してでも)一刻も早く増やそうとする、悪い意味での performance measurement への辻褄合わせであるかもしれません。

 その場にいたのは、国立大学の幹部を中心とした数十人でしたが、その他の大学の関係者に同じような話を聞く機会があるのかどうかは分かりません。まあ、国立大は色々な場があるのだろうとは思いますが、公私立大、特に公立大学はどうでしょうか。

 個人的には、現在の「グローバル化」や「グローバル人材養成」については、①日本人にとって母言語からの距離が大きい英語の学習は他の学習とトレードオフの関係にある、②ユニバーサル段階を迎え、さらに中等教育の成果が大学入試に強く規定されるという特異な構造の影響もあり、グローバル化以外の問題のほうが日本の高等教育全体としては(卒業後の長い職業人生活を考えても)より重大ではないかと思える、③総理の大学国際ランキングを巡る発言や与党幹部のTOEFLの入試や卒業での利用に関する発言等、単純な誤解などに根ざしていると思われる言説も多い等々から、もう少し冷静、慎重であるほうがいいと思います。浮き足立っている時に考えることにはろくなものがないでしょう。最悪の場合、現在の「グローバル化狂想曲」は「中途半端な通訳未満人材」を国を挙げて量産するような結末に至るかもしれません。もしそうなった時、その責任は大学と個人に帰せられることになるのでしょうか。
(菊池 芳明)

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