2016年12月23日金曜日

公立大学をめぐる国家財政システム 終わりの始まり?(3)

なかなか筆が進まないうちに、地方交付税に「歳出効率化に向けた業務改革で他団体のモデルとなるような改革を行っている団体の経費水準を基準財政需要額の算定基礎とする取組み」を導入しようとする「トップランナー方式」は、所轄官庁である総務省の地方財政審議会においてもオーソライズされた模様で、12月14日の毎日新聞で地方財政審議会が「トップランナー方式」の導入を求める意見書を総務相に提出したという報道がなされています(ただし、この稿を書いている12月20日時点では地方財政審議会のWebには資料、議事要旨等はまだ掲載されておらず詳細は不明です)。

ということで、ようやく公立大学における「効率的な」経営をおこなっている事例の紹介です。

大学の場合、国公立という設置者の違いに関わらず基本的な収入・支出の構造は、例えば企業に比べれば単純です。

近年は、①寄附等に基づく基金の設置とその運用による収益の確保、②産学連携による資金の確保などについて、特にアメリカの大学との比較において「経営努力」が足りないと指摘されることが多いのですが、本稿ではそれらについては取り上げません。①に関しては、アメリカの場合、社会に深く根付いた寄附文化に基盤を置く(大学もその一部でしかない)巨大な非営利セクターが存在し、投資収益に関してもリーマン・ショック前までは20%台後半から大学によっては30%台、その後も最近に至るまで10~20%台の収益率が期待できたこと、②については、日本の場合、産業界も国内での産学連携には熱心ではないなどの環境的要因があり、短期的に大学経営に大きな貢献をなし得るとは考えにくいためです。②の産学連携に関しては中期、長期的には大きく変わる可能性はありますが、いずれにしても今日、明日のことではありません。また、①に関しても、アメリカの投資環境が悪化しており、昨年から今年にかけてのハーバード大、ペンシルベニア大の運用収益がマイナスになるなどしていて(「イエール大基金、運用成績3.4%のプラス-ハーバード大はマイナス」Bloomberg 2016.9.24)、 投資収益にしても大学自身の努力、能力だけではなくマクロの環境に左右される部分が大きいことを示しています。資金の減少に悲鳴を上げる身としては少しの額でもないよりはずっと良いのですが、短期的に収益の「柱」となることは考えにくいと思われます。

さて、では日本の大学にとっての「効率的な」経営とは何かという問題ですが、収入の多くを占めるのは学費収入と国公立大学における国、自治体からの交付金です。後者の公立大学における引き下げが問題になっているわけですので、問題は前者の学費収入増という事になります。また、支出に関しては人件費支出が国公私立いずれにおいても最大の比率を占めているので、これをどうするかが問題となります。

学費収入を増やす方法としては、①学費値上げや②学生定員増、人件費を引き下げる方法としては①給与等の引き下げや②教職員数の削減などが考えられます。このうち、学費値上げや給与切り下げ等については、数年後に(たとえばリーマン・ショック後のアメリカの州立大学のように)現実の課題となる可能性は否定できませんが、現時点ではそうなっていないこと、実際問題として国立大学並の学費が公立大学の存在意義の一つとなっており、大幅な学費値上げは自己否定につながりかねないことなどから、これもとりあえず検討対象から除きます。

残るのは、学生定員増と教職員の減のいずれか、あるいはその組み合わせという事になります。

今回はその両者を組み合わせた指標としての教員学生比(ST比)を基準として、公立大学における「効率的な」経営を見てみることにしたいと思います。

国公私立のそれぞれのセクター別のST比は、平成27年度学校基本調査によれば、学部学生数/本務教員数で「国立大学:6.9人 公立大学:9.9人 私立大学18.9人」、学部学生数+大学院生数/本務教員数で「国立大学:9.2人 公立大学:11.1人 私立大学19.7人」となっています(平成27年度学校基本調査から筆者算出)。ここでも全体としては国立大学と私立大学の間で、国立大学に準じるという公立大学に多く見られる特徴が見て取れます。

しかしこれまで何度も述べてきたように、公立大学の場合、多様性に富み、個別の大学による違いがきわめて大きいという特色があります。個別公立大学のST比(以後は、学部学生数+大学院生数/本務教員数を使用します)については、公立大学協会のHPに各年度の学校基本調査に基づく数字が掲載されており、そこで確認することができます(厳密には公立大学協会のデータは本務教員から附属病院のそれを除いているため完全に同じではないのですが、数値としては大きな違いは無いので、ここではそのまま使用します)。

この個別公立大学のST比を見ていくと、釧路公立大学(34.8人)、青森公立大学(38.9人)、高崎経済大学(40.2人)、都留文科大学(36.3人)、下関市立大学(33.2人)という5つの公立大学でST比が30を超えています。これは上記の私立大学の平均(19.7人)を大きく超える数値です。

これらの大学に共通するのは、①設置者が都道府県でも政令指定都市でもなく一般市であること、②分野としては社会科学系であること、③比較的小規模な大学であること、の3点です。財政規模の小さい一般市において、大規模私学と同様の社会科学分野での設置自治体財政に負担をかけない「効率的な」大学経営が求められている可能性が高そうです。ことに高崎経済大学、都留文科大学、下関市立大学の場合、設置がそれぞれ1957年、1953年、1962年と公立大学運営の地方交付税交付金単位費用への算入が始まる前であり、地方交付税による補填が無い状況下、事実上、独立採算に近い経営を求められたことが想像されます。

ちなみに最もST比の大きい高崎経済大学の場合、平成27年度の決算報告書を見ると総収入2,916百万円に対して授業料等の独自収入が2,550百万円で総収入に占める割合は87.4%、一方、設置自治体からの運営費交付金は246百万円で総収入に占める割合は8.4%に過ぎません。前回触れたように地方交付税交付金の実際の給付額の計算は複雑なのですが、それでも公立大学運営費相当額として設置自治体に交付された額の多くが大学には渡っていない可能性が高い、言い換えれば設置自治体、ひいては地方交付税交付金に殆ど依存しない大学経営を実現していると言えそうです。

では仮にこのST比、言い換えれば教員人件費と学費収入の関係で最も「効率的な経営」を行っている事例を基準として交付税交付金の単価が変更された場合、どうなるでしょうか?高崎経済大学の場合、設置自治体からの運営費交付金は246百万円でした。これを同じ27年度の在籍学生数4145人で割ると1人当たりでは約59,000円となり、これは同年度の地方交付税交付金における社会科学系の学生一人当たりの単位費用214,000円の3分の1を下回ります。さすがにこれを他の分野、特に医、理、保健などにそのまま適用することは無茶な話と思われますが、社会科学系に限定して考えてみても、これに近い数値にまで交付税交付金の単位費用が引き下げられた場合、設置自治体が他の費用を削って大学に廻しでもしない限り、同様のST比を目指さざるを得なくなる可能性が高そうです(あるいは上で検討対象から除いた授業料の大幅値上げや教職員給与の大幅引き下げなどが俎上に上るかもしれません)。

しかし、このST比が約40人、教員1人当たり学生数が40人というのは、かつての大規模私学のマスプロ教育と同様の数値です(実際には大規模私学の大規模教室での数百人規模の授業という方法ではなく、施設上の制約から通常の国公立大より少ない専任教員と高い非常勤依存率という別の形を取る可能性が高そうですが)。それらマスプロ教育を行っていた大規模私学が批判を浴び、その後ST比の改善に取り組んできたこと、さらに早稲田大学、関西大学などがST比を25人にまで引き下げることを計画として掲げる(「Waseda Next 125」「Kandai Vision 150」)など有力私学で更なる努力が重ねられていることを考えれば、仮にこのような「最も効率的な」ST比を元に交付府税交付金の単位費用が改訂され、さらに設置自治体がそのままその数字に基づく大学運営を行うよう求めた場合、それは公立大学としての存在基盤自体を掘り崩す、例えば「私学と変わらない教育環境しか提供できないなら、いっそ私学にしてしまえ」といった反応を引き起こすことになるかもしれません。

ただ、さすがにそのような方向は(少なくとも当面は)地方6団体等からも反対が出る可能性が高いのではないかとも思われます。実際、例えば三重県の町村長会が(公立大学に限定したものではありませんが)「トップランナー方式」を導入しないよう国・県に要望することを決議したことが地元紙で報じられています(「『トップランナー方式』導入やめて 県町村会、国への要望など承認」 伊勢新聞 2016.8.10)。 

また、高崎経済大学等の事例は、「一般市が設置する」「社会科学系の」「比較的小規模な大学」という条件下でのさらに一部の極端な事例であり、そのまま一般化し公立大学経営の基準とするにはあまりにも問題があります。仮に単位費用の引き下げを行うにしても、分野や設置自治体の財政規模などの環境・条件の違いを無視した変更は行うべきではないでしょう。

さらに、仮に単位費用の大幅な引き下げを行った場合、近年無視できなくなっている公設民営大学、私立大学の公立大学化の潮流にも大きな影響を及ぼすものと思われます。これらは、その地域から高等教育機関が無くなってしまう、あるいは非常に少なくなってしまうという条件下、地元自治体からやむを得ない選択として選ばれるケースが多いのですが、その決断を支えているのが、①地元自治体にとっては交付税交付金がその分増額になり、財政上の負担は(少なくとも当面)あまり大きなものにならずに済みそうに思われる、②大学にとっては私学経常費補助金より地方交付税交付金の方が額が大きく、自治体がそれをそのまま全額かそれに近い額、大学に渡してくれるなら経営の安定と学費の値下げによる学生募集上の競争力強化につながる、③地域住民にとっても、公立化によるブランド価値の向上と共に学費が値下げになることで仮に子弟を入学させた場合の家計上の負担が減少する、といった現行の地方交付税交付金制度による資金的なメリットの存在です。「トップランナー方式」の導入は、それらの基盤を根こそぎひっくり返す可能性があります。この公設民営大学、私立大学の公立大学化の潮流は、地域と大学、自治体と大学の関係に新たな局面をもたらしている側面があるのですが、「トップランナー方式」の導入はさらに一段進んで、望ましいすべての公共サービスを提供することが不可能になったシビアな財政状況下、地域における高等教育の必要性に対して他の公共サービスとの比較でどの程度の優先度を与えるかという問題について、ある意味、身も蓋もない地域としての判断をむき出しにすることになるかもしれません。

さて、だらだらと続けてきたこのシリーズですが、もう一回、特定の大学にしかできないのですが、分かり易くかつ簡単にできそうなもう一つの「効率的な」経営の在り方について紹介して終わりにしたいと思います。

ただ、その前に今年度1回も開かれていない中教審大学分科会大学教育部会がようやく開催されることになったようで、その議題が「大学の事務職員等の在り方について」とのことですので、過去何回か取り上げた「高度専門職」「専門的職員」の在り方との関係で、そちらを先に書くことになるかもしれません。 

いずれにせよ年内はこの稿が最後になると思います。皆様、良いお年をお迎えください。

(菊池 芳明)

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