2009年3月9日月曜日

学習会にあたって(ご挨拶)

内藤和保

はじめに
 私は横浜市大に1976年5月1日に医学部第1解剖学教室(当時)の技術員として約3年間、金沢八景キャンパスの守衛になって30年間を市大に勤めました。その当時の職場や組合活動の状況はというと、管理職を除くほとんどの職員は組合に加入していました。組合に加入してないと"協調性がない"と評されるほどでした。当時は定年制が導入される前でしたので、70歳前後や80歳の方も少なからずいらっしゃいました。市大病院を除く職員組合の職場エリアにおける現業職場は八景キャンパスと浦舟町の医学部キャンパスに守衛室と作業員、電話交換室、公用車の運転手、実験動物の飼育をする動物舎、講座の技術員、看護学校の賄いなどの現業職場がありました。また、当時は市電廃止による交通局からの配転者が現業職場には半数近くからいました。そのような状況から、1983年に最終答申を出して解散をした「第2次臨調」で「定年制の導入」と現業職種の民間活力導入」を基本とする「臨調・行革路線」によって職場状況は大きく変わっていきました。現業職種は民間委託すべしとのレッテルが貼られてしまったのです。

現業職場削減の波をうけて
 横浜市では1985年に定年制が実施されて、まず大学職場では作業員室が委託化され、次に看護学校の賄いが委託化されました。その他の現業職場も委託提案をされましたが、まだ押し返すことができました。しかし定年などで欠員が生じるたびに「民間委託化反対、直営堅持!」を掲げて欠員補充を求める合理化反対闘争をしなければなりませんでした。
 その後に電話交換室が削減され、さらには医学部の福浦移転にともなって医学部の守衛室と動物舎(現実験動物センター)は基本的に委託化されました。残る職場は八景の守衛室だけになりました。その守衛室も部分的に夜間業務が委託化されて、やがて昼間の業務も警備会社の人たちとの混合で業務を遂行する状況になってしまいました。そして私たち最後の2名が定年を迎えることで今年の4月から全面委託となります。
 私が働いてきた時代は、臨調・行革路線による民間活力の活用、つまり行政が直接執行しないで、業務を民間に委譲したり第3セクター化したりとした動きが広まりました。財政赤字と効率的な運営を口実にしていましたが、根本での税金の使い方の議論をしない問題のすり替えが巧みに組み込まれ、政府とマスコミによる公務員攻撃がされたのでした。横浜市従は低賃金労働者と不安定雇用の拡大になると抗議し、行政サービスの向上を求めて市民との連携を重視して取り組んできました。しかし現在は新自由主義的発想による小泉構造改革によっていっそうの低賃金・不安定雇用がすすみ、格差社会の進行と社会不安が深まってしまいました。

守衛室職場を守る闘い
 こうした状況のなかで横浜市大の守衛職員として仕事をまっとうできたことはよかったと思います。今振り返れば、よくぞここまで持ちこたえたと思います。通常の取り組みであれば2回目の提案と攻撃であきらめてしまう例が多いのだと聞いています。このような攻撃を受けると、自分の仕事や自分の存在が否定されているかのように思ってしまい、首になるわけではないのだからと他の職場に移ってしまうのだそうです。でも、私たちは後で紹介するように多くの方の支援や、これまでみずから闘ってきた経験から、仕事の役割を主張しながら、「大学の守衛業務は大学の職員と教員が協力し合って学生を支援するための窓口となれるものだ」ということを大切にしてきたのです。職場の団結を基礎に、大学の果たすべき役割を大切にして業務をすすめてきました。しかし、その職場も組合も不幸な事態になってしまいました。「連合」が発足して全国の労働組合が分裂して、職場の団結が弱体化し、働くものにとって厳しい社会・職場状況になっていきました。守衛室も職場内の議論が噛み合わない状況になってしまったのです。「夜勤は大変、昼間だけのほうが健康にいい」という当局の主張に職場の意見が二分してしまいました。私たちは「教職員が一体となって学生支援に対処すべきもの。そのために苦労することはあたりまえだ」と主張しましたが、欠員は補充されませんでした。社会状況の厳しさもあり、夜間業務委託をはねかえせませんでした。悔しい想いでしたが、状況の好転を期待するしかない当面の措置として運動を収めました。ところが構造改革路線による疲弊と金融危機によって状況はますます悪くなっています。

教員組合や学内組織との連携のなかで
 守衛室では職場を守るために組合の執行委員を毎年1~2名出してきました。学内や庁内世論を高めるために、自ら闘う姿勢を示すためです。また、守衛室には他の職場の情報があまり入ってこないという課題も組合に参加することで学内の状況把握につながりました。大学の動き、教職員・学生の状況に関心をもって業務をすすめることができました。
 私たち職員の組合の闘いを支援してくれた教員組合にはとても感謝しています。教員の8割以上が守衛職場の欠員補充に理解を示して署名をしてくださったことは忘れられません。「大学の機能に支障がでる」と数度にわたってニュースを発行してくださいました。当局は「委託になじむ」と大学の本来的な機能を無視した民間化ありきの姿勢でしたが譲歩させてきたこともありました。横浜市従をはじめ、教職員・学生に訴えて2000名以上の署名につながったこともありました。学生大会で守衛室の欠員補充の決議がされたこともありました。八景や浦舟キャンパスで市従決起集会がおこなわれたこともあります。このような取り組みのなかでお互いの職場の問題で徹夜待機や座り込みなど経験してきました。組合員同士の共同行動は他の事務室の方たちとも横のつながりが強まりました。このような運動の歴史が下地になって、大学に関わる人たちに役立つ職場づくりに発展していったのだと思います。
 医学部移転のときの取り組みでは、医学部守衛室と動物舎の委託化が提案され、徹夜待機が組まれたときに、当時20代でお子さんのいる職場委員の人が「子供を保育園に迎えにいって、食事をさせてから戻ってきます」といって9時ごろに戻ってきて参加してくださったことは忘れられません。その方は今大学にいませんが、守衛室にカブトムシやクワガタが飛んでくると、「お子さんに」と差し上げたものでした。
 いま、職員組合の組織率は低い状況ですが、教員組合との連携を強めながら共同の行動を積み上げることがこれからは大事だと思います。任期制問題など共通の課題はたくさんあります。学内議論で世論を起こして方向を導き出すことはできます。全国の大学の組合形態は教職員組合が一般的です。教職員の連携は、お互いの役割を深めることにもつながります。業務上での連携と協力体制が高まり、学生への対応にもきっとよい影響が出るものと思います。

お礼にかえて
 最後に、私たちは4月から学校用務員として再任用職員の嘱託職員として市内のどこかの学校で働くことになりました。何らかの機会にお会いできることを期待しています。慣れ親しんだ市大で少しでも長く皆さんと一緒に働きたかったのですが、これも人生のひとつのけじめだと思っています。
 みなさんの手による、新たな市大づくりに期待しています。
 長いあいだ、本当にありがとうございました。

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