2021年4月29日木曜日

日本的共同体と戦略的思考

 以前、ここで何回か「戦略」について書いたことがありましたが;

「戦略論から見た大学改革への対応 -順次戦略と累積戦略-」

「政府主導型大学再編の始まりと“戦略の醍醐味”(3)」

あちこちで言われているように今回の新型コロナ禍での日本政府の対応がしばしば太平洋戦争時のそれを想起させること、それと、近代以前における日本独自の戦略、作戦、戦術等に関する展開、具体的には武士の軍事史におけるそれに関する個人的疑問の一つに対して答えを提示してくれた本が最近文庫化(西股総生『東国武将たちの戦国史』河出文庫 2021)されたのを本屋で見かけたこともあって、また少し日本人と戦略の関係について綴ってみたいと思います。

 大学関係者、それも事務局関係者と話していて、話が噛み合わないこと、その背景にパーセプション・ギャップの存在を感じることがあるのですが、(教員の場合、「考えること」を仕事にしている人たちなので、説明すればそれなりに通じる傾向があるのに対して)事務職員の一部に、自分がどのような思考枠組みに依拠しているかについて認識していない、のはまあ普通のこととして、自分の思考枠組みを相対化することに拒否反応を示す(そして、自分がそのような「防衛反応」を示していることにも気づいていない)、他の思考枠組みについて理解しようとしない強固な傾向性を感じて、内心「これは無理。説明不能」となることがあります。

 その具体的なパターンの1つが、戦略的思考が欠けている、あるいは計画を作って実行することを戦略だと思っている、軍事の領域でいう作戦レベルや戦術レベルを戦略レベルと考える、などの場合です。

  • ちなみに経営学における戦略論は、第2次大戦後に軍事の領域から階層性を持つ諸概念のうち戦略(strategy)という言葉だけを輸入し、内容については独自に発展したもので、作戦(operation)、戦術(tactics)などの言葉については取り入れられませんでした。代わりにというのでもないでしょうが、企業戦略と事業戦略という上位、下位関係にある、現実には組織レベルと結び付きやすい区分があり、さらに企業の機能面に着目した機能戦略という下位区分もあります。軍事のそれが目的、目標の達成のための「行動」を軸として「(大戦略)-戦略-作戦-戦術-(戦技)」として階層化され、そのための組織や戦力整備は「軍政」という、戦略、作戦等の立案に当たる組織(軍令部門)とは別の組織の担当する、別のカテゴリーの問題となっていることに比べると概念として曖昧さが付きまとうように思えること、私自身はもともと軍事戦略に先に親しんだことから、ここでは軍事戦略の枠組みに依拠して話を進めます。

 この点について、3年前から取り組んでいる共同研究の自分の担当部分;

「大学職員の内発性に基づく役割モデルの再構築に向けた日・韓・台比較研究」
「大学職員の内発性に基づく役割モデルの再構築に向けた国際比較研究」
-日本の大学の事務職員の本質を、民間企業、官公庁のホワイトカラーと同様の「日本型サラリーマン」であるという点に求め、その特徴と課題を抽出する-

と相当程度まで密接に関連しているのではないかと思うようになってきました。

 日本の企業、官公庁、それに大学の事務局などは単なる目的達成のための機能的組織ではなく同時に強固な共同体(集団と呼ぶほどニュートラルなものではない)でもあるという特徴を持っています。そして、その「共同体」は、近年、新型コロナや政権スキャンダル絡み、さらにはジェンダー平等問題などで再び人口に膾炙することが増えた「同調圧力」、それも「同質性」を志向する同調圧力が内面化された共同体です。このような共同体においては、共同体の基本的な価値観や行動様式、方向性などはそのまま受け入れ、内面化して、その上で共同体内で割り当てられた個別の役割や仕事に全力をあげることがよしとされがちです。それは言い換えると、戦略レベルの思考は放棄(「基本的な価値観や行動様式、方向性などはそのまま受け入れ、内面化」する)、作戦、戦術レベルに全力をあげるということであり、共同体において自身の利益の最大化を図るのであれば、それが最も合理的な行動ということになります。その当然の帰結ともいえるのが、ちょうど20年前に大手電機メーカーのトップが業績不振の責任を問われた際に口にした「(業績不振は)社員が働かないからだ」という言葉です。さすがに当時批判を浴びはしましたが、戦略レベルの思考は放棄し、作戦、戦術レベルにのみに(共同体内での処世とともに)全力を挙げるというやり方に最も「最適化」した「報酬」として社内の階梯を駆け上ってきたのであれば、「社員が働く」という、戦術か下手をするとさらに下位の戦技レベルに思考が固着してしまうのは必然的な成り行きであり、何もそのトップだけに限られた話ではないでしょう(正確には濱口桂一郎氏の指摘するところの「報酬としての地位」という問題との、いわば2重苦の結果というべきでしょうか)。

 2つ目は、「共同体内で割り当てられた個別の役割や仕事に全力をあげること」の集積が全体の成功につながるのであり、だからこそ個々人は余計なことを考えずに目の前のことに全力を挙げるべきなのだ、という漠とした信念のようなものです。「(大戦略)-戦略-作戦-戦術-(戦技)」という階層において、上位のレベルでの錯誤や失敗を下位のレベルにおける努力や成功で補うことは(特に「総力戦」以降の時代においては)困難であるというのは、軍事の戦略にある程度親しんだ人間にはよく知られたテーゼですが、上記のようなミクロの直接的な集積としてのマクロという信念?世界観?とそれは見事に衝突します。

 ここで少し過去の歴史へと寄り道します。春秋戦国時代が『孫氏』を生み、ナポレオン戦争が『戦争論』を生んだように、戦略的思考は、主に軍事と外交の領域で発達します。日本の近代軍事理論の受容は第2次大戦での大敗北という結果に終わりましたが、それ以前の歴史を振り返ると、外交についてはともかく、武士という戦士階級が数百年に渡って戦争と戦闘に明け暮れていたわけで、戦乱の時代の長さは決して中国、ヨーロッパに劣るものではありません。そして、実際、我々が良く知る武田信玄、織田信長、豊臣秀吉などの戦国時代後期の有名武将たちは戦略レベルの思考、行動(そして当然、より下位の作戦レベル、戦術レベルも)を行っていたとしか思えない行動をとっています。ただし、武士というその基盤を封建制に置いている戦士階級は、封建制の原理そのものが原因となって本来は戦略、作戦といった高度で複雑な軍事行動をとることは難しい存在です。そこから「勝つために有効である」というリアリズムに立脚した高度な思考、行動への飛躍がどこかであったはずなのですが、この点について(少なくとも東国においては、という留保付きですが)一つの回答を示したのが、冒頭にあげた西股総生先生の『東国武将たちの戦国史』です。西股先生は、単なる戦闘の集積としての戦争から脱して武士の戦争に「作戦の時代」をもたらしたのは、ちょうど京都で応仁の乱が行われていたころに関東で起こった「長尾景春の乱」の当事者である長尾景春と、その軍事的ライバルであり、最終的に乱を鎮圧した太田道灌の2人である、としています。

 西股先生の著述は、(おそらくは意識的に)非常に読みやすい平易な文章で綴られているという特徴があるのですが、ここで『東国武将たちの戦国史』から戦略-作戦-戦術という階層の関係、不可逆性について述べられている部分を紹介してみます。舞台は永禄12年(1569年)の関東、横浜市大本部キャンパスのある横浜市金沢区からは北西に30、40キロほど離れた現在の神奈川県愛川町三増峠付近で、今川義元が桶狭間で織田信長に討たれた後、今川、北条、武田の三国同盟を破棄、今川家の駿河を武田領に組み込もうとして北条軍の妨害にあった武田信玄が局面の打開を図り北条領に侵攻、甲斐に帰還途中の三増峠付近で追撃してきた北条軍の一部を撃破した戦いです。

 「北条軍を撃破することによって駿河から手を引かせることが、武田軍の作戦意図である。目的は駿河領有、目標は北条軍であり、そのための到達予定地点が小田原であった。」(文庫版248頁)
 「三増合戦は、戦術次元では武田軍の巧みな用兵による勝利ではあったけれど、作戦次元で見れば不本意な会戦であったがゆえに決勝会戦たりえず、戦略次元で評価するならほとんど徒労と言えた。」(文庫版265頁)

 このように、武士の戦乱の時代の末期においては、(それに応じた明確な概念と用語が存在していたかはさておき)自然発生的に生まれた戦略-作戦-戦術という階層的な思考、行動が存在していました。ただしそれは江戸時代の長い平和と封建制身分社会の解体により現在の日本人に受け継がれることはなく、現在の日本人、正確には「国内大学卒」で「学位は学士」、「日本の企業、官公庁等の組織にメンバーシップ型雇用契約で雇用されている」「成人男性」は、組織に重なつて存在している共同体(あるいは組織以上に強力な共同体)の独特な価値観、行動様式の強い影響下にあって、それは「戦略的思考」とは基本的に嚙み合わないものです。

 しかし、「真理はわれらを自由にする」のであり、学問という鏡に照らすこと(ここでは、先人であるかつての戦国武将たちは生き残るために封建制のもたらす軍事上の枷を脱し戦略的思考、行動を行っていたのだ、という歴史研究のもたらす知識、認識)で、無意識レベルにまで定着した固定観念でも解体することは可能です。最近の企業サイドの論理(「メンバーシップ型」「ジョブ型」の提唱者である濱口桂一郎氏いうところの「ジョブ型の皮を被った成果主義のリベンジ」)はともかく、メンバーシップ型雇用システムは、そのもとにある人間の多くにとって、①工業化によるキャッチアップには適合していたが、本当に到来した「情報化の時代」には負の側面の影響が強くなる、②組織が成長する段階では機能するが、組織が縮小する段階では逆機能を起こす、という問題点が次第にはっきりしてきています。少なくとも「戦略的思考のできない」メンバーシップ型の人間でいることは当事者にとっても大学にとってももはや安全な道ではないでしょう。まさか、政府文科省の言うとおりにしていれば将来は安泰、と考えている大学人はさすがにそれほど多くはなくなっているはずです。まあ、問題があるとすれば「真理はわれらを自由に」してはくれますが、「現世的利益」(出世だの高給だの)を約束してくれるわけではないという点でしょうか。

 さて、このテーマでは「計画」の問題など、まだほかにも思うことは多々あるのですが、いい加減長くなったのでこのあたりにします。続きはたぶん書きません。

(菊池 芳明)
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