- 「教学マネジメント指針」は「大学の管理層」の「管理運営」のためという、もともと限定された観点から作成されたものだが、そういった限定的な性格のものであるという点は、大学側に適切に認識されているだろうか?そうでない場合、教育においても上からの「管理」という側面のみが突出することになりかねない。
- 測りやすいものを測っている(量的指標、その更に一部)ことなど、「測定の限界」は管理層に認識されているだろうか?また「測定」と「評価」の違いについては?
- 選択された諸指標への機械的な最適化が進みかねない力学は認識されているだろうか?(特に国公立大学の法人評価)
- プロフェッショナルでない経営者とプロフェッショナル文化、特に「プロフェッショナル倫理」(所属組織での利害関係等を超える専門家としての倫理)の脆弱な社会における専門家の組み合わせという日本独特の問題。
- 指針を作成した側は、「評価」や「測定」の問題点についてどの程度認識していたのか?
cf. ジェリー・Z・ミュラー 「測りすぎ ―なぜパフォーマンス評価は失敗するのか?」みすず書房「ジェリー・ミュラーさんの『測りすぎ』という本,今,すごくはやって,皆さん読んでいますけれど,この委員会に出ていると,これをみんなもっと読んだ方がいいのではないかという気持ちにとてもさせられます」教学マネジメント特別委員会(第7回)
cf. 政策評価論の研究者からは、以前からNPM※型改革における評価やその基本的な手法であるパフォーマンス・メジャーメントの問題点(この点は教学マネジメントの諸指標についても同様)が指摘されている。※NPM(New Public Management):民間企業における経営手法などを公共部門に適用することで効率化・活性化を図ろうとする手法。日本では国立大学、公立大学に対しても適用された(大学法人化)
- 今回の新型コロナ感染症拡大に伴う一連の事態は、政策的に“推奨”されてきた日本のIRの在り方の特徴―平時の、安定した状況を前提とする「中期計画」等の定型的な枠組みにおける「PDCA」の「測定」に最適化したものーを明らかにするとともに、それではカバーできない様々な問題を浮き彫りにした。本来は、質的なものも含めたより広範なdata、informationに基づくintelligenceが必要とされているのではないか。
- 「指針の基本的な性格を踏まえた運用」「測定の限界を踏まえた抑制的運用」を行うと共に「学生、教員のための、管理運営以外の視点に基づく基準」の創造を行うことが必要ではないか。
- また、管理層、IRerの「プロフェッショナル化」も必要ではないか(ただし「プロフェッショナル化」とは単なる専業化ではない。特に「プロフェッショナル倫理」を内面化していない専門家は「プロフェッショナル」と呼んでいいのか疑問であるだけでなく、組織や社会を危険にさらす懸念がある)。
(菊池 芳明)
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